それは乾いた塵風が冷たい、ある日のことだった。
“彼”は三匹のお供を連れ、突然この島にやってきたのだった。
「かかれ!」
“彼”の声を合図に、お供の三匹は一斉に動き出した。
猿は素早く、村中の家の戸を開けて廻り、財宝や珍品を持ち出した。
犬は盛んに吠えて鬼たちを威嚇し、向かってくる鬼には容赦なく噛みついた。
そして空高く飛び立った雉が、火のついた枯れ枝を上空から家々に落とし、茅葺きの屋根に火が燃え広がっていった。
村は炎に包まれ、至る所で鬼たちの悲鳴が上がった。
村の惨状を目の当たりにして、 “おにと”は思わず叫んだ。
「どうしてこんな酷いことを!」
“おにと”の言葉に、“彼”は真っ直ぐな瞳でこちらを見つめ、そして答えた。
「復讐だ。」
そして“彼”は、三匹と共に島から去って行った。
その夜、“おにと”は夢を見た。
燃えさかる村が見える。
その中で泣き叫び、逃げているのは人間たちだった。
人間たちは口々に鬼を呪い、逃げていく。
その中でたったひとり、こちらに向かってくるのは……“彼”だ。
“彼”はすすで汚れた顔を上げて叫んだ。
「どうしてこんな酷いことを!」
「復讐だ。」
そう答えたのは、紛れもなく自分の姿だった。
翌朝、“おにと”は叩きつけるような風の音で、目が覚めた。
「とても、嫌な夢を見た…」
そして“おにと”は、村はずれに住む長老を訪ねてみることにした。
「長老なら、何か知っているかもしれない。」
“彼”はいったい何者なのか。
なぜ突然やって来て、こんな酷いことをしたのか。
皆から長老と呼ばれている鬼は、 村はずれの山の中に住んでいた。
「昨日のことじゃな……怖かったろ?しかし…いつかこんな日が来ると思っておったわ。」
“おにと”は長老の言葉に驚いた。そして聞きたかったことを尋ねてみた。
「そうさな…どこから話したもんかの。」
そう言って、長老はポツリポツリと話し始めた。
「わしのじいさまから聞いた話じゃが…
昔、鬼と人間は一緒に暮らしていたそうな。
ところが……あるときから別れ別れになってしまったのじゃ。鬼の神通力のせいでな。」
「神通力?」
「わしら鬼には、本当は不思議な力があるんじゃよ。神通力と言ってな、大きな岩を触れずとも動かしたり、雨を降らせたり、病気を治したり…
だがそれも、今では誰も使えん。封印してしまったからのう…。神通力のない鬼は、非力じゃよ。」
「どうして、封印したのですか?」
「……遥か昔のことじゃ。鬼は神通力を使い人間は知恵を使い、互いに補い合って暮らしていた。鬼と人間は穏やかに共存しておったのじゃ。
だがある日、鬼の神通力を盗もうとした人間がいてな、こっそり鬼の七つ道具を持ち出したんじゃ。」
“おにと”は長老の話にじっと聞き入っていた。
幼い頃に、母から聞いたことがあるような気がした。
「もちろん、道具を使ったからといって、人間には神通力は使えん。あれは鬼に与えられた力じゃからの。
その人間は七つ道具を使いこなせず、煽りを受けてあっけなく死んでしまった。
それ以来、鬼と人間との間に、諍いが生じるようになった。
諍いはまた次の諍いを呼び……そうしてすっかり仲が悪くなってしまったんじゃ。」
「それで、別々に暮らすようになったのですか?」
“おにと”の問いに、長老は静かに頷いた。
「だが……人間がいなくなったら、神通力は暴走するようになった。
強すぎて止まらないんじゃよ。
大雨は続き、地は荒れ、傷を癒やす力はかえって鬼を傷つけた。
そして、制御できなくなった神通力を、鬼は捨てることにしたんじゃ。
山奥にある祠を知っているか。そこに鬼の七つ道具が封印されておる。」
神通力の話は、にわかには信じがたかった。
自分にも、本当はそんな力があるのだろうか。
鬼は弱いもの、と教えられ信じて疑わなかった“おにと”は、不思議な気持ちで長老の話を聞いていた。
「何年か前…お前さんがまだ小さい頃かの……祠から七つ道具を持ち出し、再び神通力を使おうとした鬼がいたじゃろ?」
“おにと”はその話を知らなかった。
「……わしらは鬼じゃからのう。そやつも使ってみたくなったんじゃろ。
だがやはり神通力は暴走してな……そやつは仲間を傷つけないように、島を出て人間の村へ行ったんじゃ。そこで何があったかはわからんが。」
“おにと”は、“彼”の真っ直ぐな瞳を思い出した。
人間の村で、 いったい何があったのだろう。そしてどんな気持ちで、“彼”はこの島にやってきたのだろう。
さらに島を出た鬼のことも気になった。
どんな思いで海を渡っていったのだろうか。
“おにと”は、祠に行ってみることにした。
長老に教えてもらった道を進んで行くと、ひっそりとした薮の中に小さな祠があった。
祠をじっと見つめているうちに、
“おにと”はふと、自分も神通力を使ってみたくなった。
けれど、もしもその力が暴走したら、いったいどうなるのだろう。
いつかの鬼と同じように、自分もこの島を出るだろうか。そうして人間のところへ行くのだろうか。
“おにと”は昨夜の夢を思い出していた。
「お前も使ってみたいか。」
長老の声に、“おにと”は我に返った。
いつのまにか、長老が後ろに立っていた。
「いえ。」
「気にせんでええ。むしろ自然なことじゃ。」
ばつが悪そうにうつむいた“おにと”に、長老の声は優しかった。
「お前も、鬼なんじゃから。」
“おにと”は長老に一礼して、祠を後にした。
「ああ、そうじゃった。もうひとつ思い出した。」
長老は背中越しに、“おにと”に声をかけた。
「鬼の神通力を盗もうとした人間のことじゃ。
たしか病気の子どもを助けるためだったという話じゃよ。だが、神通力はひとりのために使ってはならない、という決まりでな。」
日はすでに西に傾き、山風が樹々を揺らしていた。
“おにと”はもう一度、今度は深くお辞儀をすると山を下りはじめた。
山道を下りながら、“おにと”はだんだん胸が締め付けられるような感じがして、息が浅くなった。
何がいけなかったのか、誰が悪いのか、“おにと”はわからなかった。
誰も悪くない気がした。
いつしか呼吸は嗚咽に変わり、射してくる夕陽が目に痛かった。
それからしばらくは、村の修復に忙しかった。
“おにと”は片付けに追われながら、ぼんやりと長老の話を思い出していた。
“彼”は、鬼の神通力のことを知っているのだろうか。
なぜ仲間の鬼が暴走して人間の村まで行ったのか、知っているだろうか。
そして“彼”の村で一体何があったのだろう……
“おにと”は、“彼”に聞いてみたい、“彼”と話をしてみたい、と思った。
どうすれば“彼”に会えるのだろう。
“彼”のいる人間の村には、どうやって行けばいいのだろう。
そういえば、真っ直ぐな瞳の“彼”は、自分と同じ年端に見えた……
“おにと”は無性に“彼”に会いたくなった。
「そうだ!長老なら知っているかも。」
“おにと”は持っていた瓦礫を放り出すと、山に向かって走り出した。
途中、足を止め振り返ると、斜面の向こうに朝日でキラキラと揺れる海面が見えた。
“おにと”はなぜだか、ふっと頰を緩めた。そしてまた、ふわりと駆け出した。
海からの風が暖かく、数日前の混乱が嘘のように静かな朝だった。
鬼ヶ島に、ようやく遅い春が訪れようとしていた。
終わり
☆つぶやき☆
誰もが知っている、日本の昔話がモチーフです。
「鬼の側からしてみたら、ある日突然彼らがやってきて、島を荒らし略奪して帰って行ったってことだよね・・・」なあんて思っていました。
子どもの頃、よく親から「あまのじゃく」と言われましたが、あまのじゃくを漢字で書くと「天邪鬼」。そうか、鬼の仲間なんですね。なるほど~。
♡挿絵について♡
フリー素材サイト「イラストAC」さんより、加工&使用しています。